日本では6月6日から、ジョージクルーニー主演で、トゥモローランドを舞台とした映画「トゥモローランド」が公開されます。
というわけで、今回は映画の舞台となっているオリジナルディズニーランドのトゥモローランドの歴史を探ります。
この記事のもくじ
科学の発展とトゥデイランド
画像引用:wikipedia
トゥモローランド、明日と称されるテーマランドですが、アメリカは目覚ましい科学の発展で、科学の発展に追いつかず、ウォルト存命の時点でトゥデイランドになっていました。
開園してしばらくのトゥモローランドには今のような刺激的な乗り物はありませんでした。
今ではレッドロケッツピザポートの前に置かれているムーンライナーとオートピアの二つがオープン時にトゥモローランドに置かれていたアトラクションです。
そしてしばらくして、”科学の館”や”アルミニウムの殿堂”など、企業パビリオンがありましたが、名前の通り、ディズニーらしいストーリーのあるアトラクションとは言えず、企業PRの為だけに置かれたアトラクションでした。
今だと、なんとも寂しいように聞こえますが、開演当時のゲストにとっては、未来を匂わせるエキサイティングな世界観でした。
しかし、アメリカの発展の凄まじさから、それがありふれたものになっていくのも非常に早かったのです。
月旅行への憧れ
先ほども登場したムーンライナーは初期のトゥモローランドの象徴的な建物で、当時はスリーピングビューティーキャッスルを抜いてパークで一番大きな建物でした。
それだけアメリカの宇宙計画の発展に期待がかけられていたということでしょうか。
そしてムーンライナーのそばには“ロケットトゥーザムーン”というドーム型のシアタータイプのアトラクションがありました。
(3:50からロケットトゥーザムーンの当時の映像が含まれています。)
ゲストはロケットの中にいるという設定でシートに座り、天井のスクリーンには大きく広がる宇宙と、足元のスクリーンにはどんどんと小さくなっていく地球が映されました。
まさに地球から宇宙に旅立つ体験のできるアトラクションでした。
このアトラクションは当時のゲストたちを沸かせました。
なぜなら、当時のアメリカでは、月に人を送ることが、国民全員が祈る夢でした。
月を目指した理由
1958年、アメリカではNASAが初めて発足されました。それまでにも、陸海空のそれぞれの軍隊で宇宙開発局を持ち合わせていて、それぞれで人工衛星の打ち上げを行っていましたが、それはさんざんな結果でした。
1957年10月に、当時冷戦で敵役となっていたソ連が、“スプートニク”という人工衛星の打ち上げに成功しました。ソ連はこの時既に原子爆弾と水素爆弾の開発に成功していました。そして人工衛星の打ち上げ成功は、大陸弾道ミサイルの完成も意味します。ソ連は自国にいながらにして、ボタンひとつでアメリカ全土に原爆、水爆で爆撃ができるようになりました。
これは“スプートニクショック”と呼ばれ、アメリカは身の危険と焦りを感じる出来事となりました。
1957年の12月にアメリカ海軍が”バンガード一号”を打ち上げましたが、数秒後に爆発。
アメリカはこの年、暗いクリスマスを迎えました。
ですから、バラバラだった宇宙開発局を集結させて、有人宇宙飛行をゴールに“マーキュリー計画”をスタートさせたのでした。
そして、アメリカがソ連と張り合える大陸弾道ミサイルを持てたのは、1959年のこと。
ですから、ゲストにとって、ムーンライナーは”スプートニクショック”までは明るい未来を見せるものでしたが、”スプートニクショック”から、アメリカが大陸弾道ミサイルを持つまでは冷戦への不安と宇宙開発への焦りを示すものになったのでした。
月から火星へ
1967年からは月に人を送る“アポロ計画”がスタートします。
しかし何度かの失敗があり、殉職者が出たので、有人ロケットの打ち上げは一旦取りやめ、無人で月にロケットを送るようになりました。
そんな最中、トゥモローランドにも変化がありました。
1967年、“ロケットトゥーザムーン”が“フライトトゥーザムーン”に変わりました。
なぜならロケットを月に送ることは現実になったので、次は有人ロケットを月に送り、そして、また地球に戻ってくる、という夢をアトラクションに込めたのでした。
そして1969年アポロ11号は月面着陸に成功します。
そのあともアポロ計画は人を月に送り続け、その後はアメリカは目標を火星に変更します。
1975年に火星探査ロケットのバイキング一号を火星に軟着陸させます。
それを受け、“フライトトゥーザムーン”は“ミッショントゥーマーズ”に変わりました。
そうやってトゥモローランドは時代を先取りし続け、明日の世界としてゲストに夢を与え続けました。
しかし”ミッショントゥーマーズ”も1992年にクローズされました。
いまだ火星に人は上陸していませんが、宇宙開発自体がアメリカの子供達の夢ではなくなり、ありふれたものとなってしまったからでしょう。トゥモローランドの象徴であったムーンライナーは今ではひっそりとレッドロケットピザポートの前に置かれています。
こちらを記事を書くのに、有馬哲夫著「ディズニーランドの秘密」を参考にさせていただきました。
画像引用:davelandweb.com