ディズニー創立100周年として公開中の映画『ウィッシュ(WISH)』。100年目の記念作品と言うことで、注目を浴びる中、映画をご覧になった方も多くいらっしゃると思います。
そんな中、今回は「完全なる筆者の独断と偏見」で映画の感想について述べてみたいと思います。
こちらは「ネタバレを含む形」になりますので、気にされる方や、まだご覧になっていない方はご了承の上ご覧ください。
この記事のもくじ
まずはストーリー概略
まずは感想の前に映画のおおまかなストーリーをおさらい。
主人公の少女、アーシャたちが暮らすロサス王国。ここはどんな願いでも叶うといわれる魔法の国。
国民から慕われていた、国を統治するマグニフィコ王。城で働く17歳のアーシャは、王に弟子入りを志願します。
王に気に入られたアーシャは、そこで全ての人々の願いは全て王が管理し、王は自分の為になる願いのみ叶え、ほとんどの国民の願いはかなえられる事がないことを知ります。
自分の祖父の夢を叶えてもらえない事を悟ったアーシャは、王から離れ、人々の願いを叶えたいと、夜空の星に祈りを捧げます。
すると、魔法の力をもった「スター」が空から降りてきて、魔法によって話すことができるようになった動物たちやスターとともに、その力を使ってみんなの願いのためにアーシャが奮闘する…と言った物語です。
映画自体はシンプルなストーリーで進み、幅広い年齢層が楽しめる作品になっていると思います。
100周年の魅力が詰まった作品
まずは、「ほぼネタばれ無し」の率直な映画の感想から。
映像や音楽などに関しては、「相変わらずのクオリティーの高さを感じた作品」と言う感想がまず第一に出てきます。
大きな特徴としては、100周年の記念作品らしく、あちこちに散りばめられたディズニー作品の様々なオマージュや隠された要素。
そうしたこだわりは、新旧様々な映画から取りこめられており、例えば1つ例を上げると、冒頭の物語の始まりは「絵本を開いて始まる」という、白雪姫などに使われていた演出が久々に使われています。
また、過去の作品にもあった隠れミッキーもしっかりと登場。エンディングも過去作品を感じられる演出があるので、最後まで席を立たれないことをオススメします。
これまでに過去のディズニー作品をたくさん鑑賞された方ほど楽しめるとも言えると思います。
作品全体としては、「ディズニー映画の王道的な形」でもあり、途中で主要キャラクターが歌い踊るシーンが入る、ミュージカル調の近年のディズニー映画になっています。
唐突に進むストーリーに困惑も
【この先は映画の一部ネタバレ・個人的感想を含みます。】
まず、作品全体の感想としては、「物語の進行に感情移入がしにくいかも…」と感じました。
物語の冒頭、アーシャは魔法使いである王への弟子入りを志願し、面接が行われます。その際、本来は立ち入り禁止の「王の間」に通され、シャボン玉のような丸い浮遊体に国民の「願い」がたくさんストックされていることを知ります。
彼女は、100歳を迎えた祖父の願いを「儀式」(王が国民の中から選んで願いを叶えてあげる儀式)で叶えてもらえないか、王に懇願します。
ところが、王は「国が揺るがされる危険がある」と言う理由でそれを断ります。(ここが最初の謎ポイント)
そこで感情をあらわにしたアーシャは声高に叫び出し、王の元を離れ、その後、森で夜空から落ちてきた「スター」の力を借りて王に立ち向かう…と言う展開です。
ここでのシンプルな感想は「簡単にアーシャに王国の秘密をバラす王」の疑問。物語の展開として必要なのはわかるのですが、「唐突に物語が進み、観客が置いていかれる」と言う感想を持ちました。
そして、アーシャが王と決裂するきっかけは「自分の祖父の願いがかなえてもらえなかった」と言う個人的な願いである事。
「アーシャ自身の願い」ではなく、身内の個人的な願いから発展していく部分に少し違和感がありました。(他にも多くの国民が願いをかなえてもらえる事を待っているので、その為に弟子入り志願したの?と言う疑問も。)
また、映画冒頭では、主人公や国民も「現在の暮らしに満足している」描写があり、王とアーシャのやりとりから問題が大きくなっていく…と言う印象を受けました。
こうした舞台の背景も映像や物語から徐々に入っていくのではなく、「長いセリフで説明してくる部分」が多く、物語に少し入りにくいのかな…と言った印象を受けました。
マグニフィコ王は「純粋な悪」ではない?
本作で悪役(ヴィラン)として描かれているマグニフィコ王。映画の宣伝でも“ディズニー史上最恐のヴィラン”と言われています。
広告やメインビジュアルなどでは、「強大な力を持って国民を恐怖のどん底に陥れる王」…と言う印象を受けます。
しかし、物語の中の王は、「独裁的な力で国民を押さえつける圧政」を敷いている訳ではなく、冒頭では、国民から純粋に非常に愛されているのです。
また、国民の願いはストックしているものの、利益を独占する訳でもなく、民意を聞いてうまく国を統治しているとも感じます。
国民が差し出した願いも、この時は全て叶える訳では無いものの、自らの為に使う目的で集めた訳では無く、「利己的で明確な悪意を感じない」とも受け取れます。
差し出された願いも、王が無理矢理奪い取った訳では無く、国民自らが差し出しています。
物語の中で、王はかつて故郷で盗賊に襲われ、家族を失い、その後、自分や人々を守るために魔法を学び始める…と言う場面があり、根本的な悪者ではないと感じられるのです。
こうした事から、シンプルにこれまでのディズニー映画のヴィランに対して、「マグニフィコ王がそこまで悪意を持ったヴィランではない」と言う印象も受けました。
王をヴィランに変えたのはアーシャ?
前述の通り、個人的にはマグニフィコ王は今までのヴィランと違い、「自分の欲の為の行動ではなく、元々は国民の為を思っている」と言う部分を感じます。
そこにアーシャが「自分の祖父の夢を叶えてもらえない」から、「王は国民の願いを奪っている」→「王が禁断の書を使って暴走」…と言うようにも見えてしまうのです。(しかも王は禁断の書を使うことを一度ためらうなど弊害を理解している様子。)
冷静になって物語を見てみると、もともとは国民のために尽くしてきた王が、アーシャの強い思いによって追い詰められて、禁断の書を使って悪者になってしまった…とも見えてしまう気がします。
アーシャの「祖父の願いをかなえてもらえなかったという感情」、彼女の主観的な違和感がきっかけになり、物語が始まり、国を巻き込んだ問題に発展してしまった…とも感じられてしまう部分もあった様に感じました。
見えにくい主人公のアーシャの個性
一般論として、映画の主人公は「見ているゲストが共感を得られる」、「頑張って欲しい」、「目的に向かって成長する姿を見たい」と言う、何かしらの没入感や共感があるから入り込める…と言う部分もあると思います。
冒頭でも触れた、「ちょっとその世界に入りにくいかな…」と感じる部分。それは、アーシャの「個性」。
本作のタイトルから察すると、「彼女の願いが叶う物語」のように感じられますが、実際には「アーシャの個人的な願いについてはほぼ描かれていない」のです。
彼女の行動原理となっているのは「祖父の願いを叶えたい」、途中からは「奪い返したい」と言う事。
例えば、「自分が魔法使いになりたい」であるとか、「国や仲間を救いたい」と言う事では無く、「身内の願いを叶えたい・取り戻したい」と言う部分しか見えてこないとも感じます。
個人的には、この辺が物語に入り込みにくいと言う部分があったようにも感じます。
他のディズニー映画の主人公は、「確固たる夢や目標」が明確にある場合が多く、没入感が得られやすいと言う特徴がある気がします。
…例えば、「預けた自分の願いを取り戻す」や「魔法使いになって国を救いたい」と言ったわかりやすい明確な意思表示があった方が入り込めたのかもしれません。
もちろんアーシャは王と戦い、奮闘します。
しかし、現実的にはアーシャの努力や力ではなく、「スターの力によって王を倒した」と言う形になっており、結果的に「主人公が成長して何か力を得た」と言う部分がなく、「アーシャである必要性をあまり感じない」とも言えると思います。
最後にスターから魔法の力を授かり、アーシャは魔法使いになっていくのですが、これも物語の進行とはあまり関係がなく、唐突に力を与えられる…と言う様にも見えました。
せっかくの魅力的なキャラクターであるアーシャ。もう少し「明確な個性」があった方が良かったのでは…と個人的には感じました。
キャラクターの「色付け」の違和感
続いては、「周りを固めるキャラクター」について。
本編に登場する、アーシャを支える登場人物が7人いるのですが、これは「7人の小人」のそれぞれの頭文字の名前になっていたり、その特徴も似通っています。
そうした周りを固める登場人物も特に「生活に苦しんでいる」、「何か大きな悩みを抱えて生きている」(王に願いを預けているサイモン意外は)というわけではなく、アーシャの願いに強く同調している訳でもない…と言う部分も気になります。
また、その7人とアーシャの関係性(友人?仕事仲間?単なる城の従事者?)も特に描かれておらず、名前も覚えられずに「その他のモブキャラ」として終わってしまっているように感じます。
その個性をもう少し活かした活躍などがあれば、もっと印象的なキャラクターなっていたのかもしれない…と感じました。
理解しにくいその他登場人物の行動原理
物語のキーパーソンの1人でもある「アマヤ王妃」。
王を愛し、一番の理解者である存在…と言う形で、冒頭は描かれるのですが、王が禁断の書を手にしたあたりから、アーシャ側につき、急に方向性が変わっていきます。
その心の移り変わりについて、「唐突に王を裏切った」と言う形になっており、「あれ?何で急に…?」と言った、王妃の心情がわかりにくいと感じました。
また、物語の最後には王妃が君主になる場面が描かれますが、あれほどまでに愛した王を裏切り、弁明の場も与えずに自分が王になる部分は、逆に「独裁者になる可能性」を感じました。
偉大な魔法使いである王を失った王国。そもそもアマヤ王妃に国を統治する、それだけの力があるのか…と言う部分も疑問が残りました。
また、前述の7人の友達も、最初は協力しない姿勢だったのに、途中から突然協力する姿勢になりますが、その心境の変化等についても描写がないため、「なんで急にそうなるの?」といった形が多く、「脇役の行動の変化に説得力がない」とも感じられました。
物語は最終的には「王を失脚させて牢に閉じ込めて終わり」になるのですが、元々は「国民が穏やかに暮らせる素晴らしい国」を作った王のはず。
最後は王も改心して大団円…と言うエンディングでも良かったような気がしました。
意味や役割が希薄なキャラクター
今回は100周年と言うこともあり、様々なオマージュや登場人物がその周りを固めていると言うのも特徴の本作品。
しかし、個人的には、それらを盛り込む前提があったためなのか、「物語を補完する役割」ではなく、必要あるのかな…というキャラクターの存在も気になりました。
ディズニー映画の国内声優としては欠かせない、山寺宏一さん。もちろん個人的には大好きですし、ディズニー映画の日本の歴史を作った人物であるのは間違いありません。
ただ、今回本作に登場した子ヤギのキャラクター「バレンティノ」。
シンプルにジーニーのイメージが強すぎると言う部分も感じますが、本作のストーリー展開上、「途中で人間の言葉がしゃべれるようになる」と言うだけで、後は「アーシャと一緒について回る」と言う位しか、その個性がないと感じました。(マスコット的なキャラならスターで事足りる?)
また、スターが登場してからは、その力によって様々な動植物が言葉をしゃべるようになります。
「全ての生き物に違いはない」と言うメッセージを発するのですが、本作のストーリーとは関連が無いワードが突然登場。
途中の会話で鹿がクマに「食べないでくれてありがとう!」と言うセリフがあるのですが、唐突過ぎて、そのメッセージをどう受け取ればいいのか、正直困惑してしまう事などもありました。
物語を進行させるための「無理矢理感」
また、物語全体を通じて、「ちょっと不可解と感じるシーン」が多くあった様に感じます。
まず、物語のポイントとなる、「アーシャの祖父の願い」は、「自身が音楽を奏でて、周りの人が笑顔を浮かべている」と言う光景。
冒頭、王はそれを「国が揺るがされる危険がある」と解釈して危険視するのですが、まずイキナリ「?」マークが浮かんでしまうのです。その後、祖父が何かしらの危険分子であると言う物語があるのかと思いきや、単なる優しい素敵なおじいちゃん。
また、アーシャが空に願いを掛けるとスターが下りてきて力を…と言う場面も「なぜアーシャなのか」と言う疑問が解決しないまま物語が進行し、「そもそもスター自体が何者なのか」がわからないのです。
端的に言うと、ストーリーがあまり奥深くなく、短く終わるストーリーを伸ばしている感じにも見えました。大きなサプライズ的要素や秘密が明かされる…と言う事では無く、「映画の予告のストーリーそのまま」と言った印象を受けました。
ディズニー作品で多用される「魔法」ですが、魔法と言えどもそれなりのストーリーと説得力がないと、物語が浅く感じてしまうような気もします。
感じ方は多種多様。まずは自分の目で!
と、いう事で「あくまで個人的感想」として、書かせて頂いた、「WISH」の感想。
少しネガティブな感想が多くなってしまいましたが、まずお伝えしたいのは、ぜひ「自分の目で見て評価をつけていただきたい」という所。
声優の吹き替え版のアーシャ役である、生田絵梨花さんや、マグニフィコ王役の福山雅治さんの歌声は観客を魅了する、非常に素晴らしいものだと思います。(ただ、良くも悪くもマグニフィコ王は「福山雅治」が強すぎる気もしました。)
音楽や映像はさすがディズニー作品と思わせる内容で、記念作品らしく、様々な場所に隠れたオマージュや、本編以外でも楽しめる要素も盛りだくさんです。
また、シンプルなストーリーであるため、幅広い年齢層が楽しめる映像作品になっていると思います。
今回書かせて頂いたのはあくまで「筆者個人の感想」。筆者自身がこの物語を理解していないかもしれませんし、もっと素晴らしい感想をお持ちの方もいると思います。
まずはご自身の目で、この記念すべき作品をじっくりご覧になってくださいね。